桶谷式乳房管理法について  私が桶谷式で開業した訳

皆さんこんにちは。

ちょっと、ここで、私が桶谷式を始めた訳を知っていただきたいと思います。なぜなら今話すべきことのように思うからです。

桶谷式は、念願の公益法人に今年なりました。公が桶谷式を認めてくれ、出発をしたのです。

桶谷先生が素晴らしい技術と知識を母と子、後輩たちに残してくださり、又、全国で母乳の専門知識と技術を持って沢山の仲間が、地道に仕事をし、沢山応援して下さる、お母さんと赤ちゃんがいてくれたからです。ですから、私たち桶谷式の助産師は日々研鑽し、桶谷式からぶれることなく、正しくお母さんに、技術を提供して、喜んでもらえるように頑張らないといけないのです。桶谷式の技術をお母さんと赤ちゃんに、これからもずっと 受けていただけるよう残していかなければならない責任があるので、沢山のお母さん方に知ってほしいのです。

私は7年間病院で助産師をしていました。

命の現場は素晴らしく、沢山の経験を積ませていただきました。その頃桶谷先生は富山県の高岡市から大阪に桶谷式研修センターを開かれ、全国から先生の技と知識を習得したい助産師に学びの場を提供されていました。私のいた病院は、なんらかの理由での帝王切開以外は、自然分娩が主で、誘発分娩はまだ導入していませんでした。なので、助産師として存分に働かせていただきました。

お産は自然なこと、母乳は自然なことという職場でした。

しかしその頃の世間は、ミルクもかなり、浸透しているように思われました。

そんな中、桶谷式が世に出てからは、母乳🤱回帰になり始め、母乳をお母さん達に広めないといけないと考える助産師が増え始めている頃でした。搾乳器を使わない、哺乳瓶をすぐには使わない、ミルクよりまずはブドウ糖、分娩後2時間以内におっぱいを吸わせる、母児同室など、母乳育児を頑張る病院も増え始めていました。私のいた病院も、お土産のミルクをやめたり、搾乳器をやめて、手搾りを指導したり、赤ちゃんをお母さんと過ごしていつでも飲ますことができるように、お産の後は必ず吸わせたり、産後のお母さん係がいて、いつも授乳を見ていました。助産師は頑張っていました。この頃、桶谷先生が全国をまわって、助産師に桶谷式の技術と考え方を講習されていた頃でした。

母乳は出るもの出せるものをモットーに展開されていました。

なので、少しずつ病院も変わりつつあったのだろうと思います。桶谷式が世間から注目され始め、先生はよくテレビに出ていました。あの頃の映像は沢山残っています。母乳は素晴らしい、母と子の為には大切なものだ、助産師は頑張らないといけないなど、とても目がキラキラして答えておられました。しかし、出る杭は打たれるとよく言ったもので、世に出れば出るほど専門家たちからいろいろ妨害を受け、すでに戦っておられました。

公表しなければよかったと思うくらいだったそうです。それでも支持するお母さんや助産師は後を絶ちませんでした。アメリカに招待され手技の公開をされ、論文を発表されました。桶谷先生は、戦中、満州で開業されて、人種を問わずお母さんの分娩に立ち会い、母乳育児にたずさわっておられました。懐かしくその頃のことを研修中に話してくださいました。

戦争がひどくなり、お母さん達も食べるものも無くなかなかおっぱいが出なくなり、どうしたら、赤ちゃんに母乳を飲ませてあげられるか考えた末に、痛くない良く出るマッサージをあみだし、沢山のお母さんと赤ちゃんを助けたそうです。

戦後、日本に帰り富山県高岡市に母乳育児専門の助産院を開業されました。

あそこに行けば、母乳が出る、乳腺炎が治ると評判になり、全国から沢山のお母さんと赤ちゃんが訪ねていました。あの頃はネットがなく、簡単には全国に広がりません。地道な仕事と情熱がなければ、結果を出さなければ、人は集まりません。すごいことです。更に、先生は母乳の研究を重ねて、赤ちゃんには乳質の良い母乳が大切、母乳はお母さんと赤ちゃんの健康に大切、断乳の大切さなど、桶谷式の考え方をまとめていかれました。富山県の富山大学の藤田六郎先生を支持して、「これは素晴らしい、真珠をちりばめたような方法だ」と協力していただき、まとめていかれました。マッサージの付図をまとめ、より助産師が学びやすいようにしてくださいました。晩年まで、マッサージの効果を科学的に、解明してほしいと願っておられました。私たちの会ではマッサージの前後に乳質を調べることを、研究が今も続いています。母乳育児になやんだ助産師、桶谷先生にお世話になった助産師達が、先生の元で学ぶため、集まるようになっていました。

私の先輩は、弟子入りして、先生と寝食共にして、先生の元で熱心に勉強されていました。桶谷先生の技術をここだけにとどめたくないと、助産師達が考えるようになって現代助産師研究会を立ち上げ、先生を説得して世に公表したのです。助産師達に、きちんと教えて、お母さんと赤ちゃんの為に、母乳育児を広める為に、研修センターを立ち上げることになったのです。その頃の私は、仕事をしながら、母乳育児をしていましたが、桶谷式はカリスマ的しか思っておらず、まさか、この仕事をするなんて考えてもいませんでした。

そんな時、私の友人が先に桶谷先生の元で勉強しており、見学に来ないかという誘いがあり、一度は桶谷先生を見てみたいという興味で訪ねてみました。

行ってみると、そこは見たこともない、お乳のふるさとでした。乳房マッサージはいたいものだと思っていたあの頃の私は、痛くなく、お母さんが笑いながらマッサージを受けている姿は衝撃を受けました。沢山のお母さんと赤ちゃんが待合室で待っておられ、お乳を搾ったり、飲ませたり、楽しく話しをしたり、みたこともない光景でした。助産師達の真剣な姿、お母さんに優しくマッサージをして語る桶谷先生の姿、痛くないマッサージにみをまかせて、安心して先生と会話しているお母さん達、助産師にはこんな仕事の仕方もあるのかと驚かされました。分娩を病院に移行され、素晴らしい技術を持った開業助産師達が次つぎにやめていく中、桶谷先生は、これからの助産師のための開業の道をつけてくださったんだと思って、感動すると同時に、母乳の専門知識を習得したいと思うようになりました。

次男から桶谷先生にお世話になり、病院の合間に見学させていただき、大阪通いが始まりました。断乳したら来なさいと言われ、家族を説得して、子供たちと離れて、研修センターに行くことになったのです。

次回は研修中のことを話しますね。